新宮市議会 2021-12-07 12月07日-02号
これは、私がそのマスクができないので議長を辞任したんですけれども、そのとき孫がメールを送ってくれて、じい、マスクできんさかいじめられやるんやねと。保健所行ったら、これメールの写真を送ってくれて、こんなの保健所でもろうてきて首にかけといたらマスクせんでもええさかもろうてき、とメールくれたんや、孫が。それで保健所にこれもらいに行ったんや。そしたら誰も来てない。
これは、私がそのマスクができないので議長を辞任したんですけれども、そのとき孫がメールを送ってくれて、じい、マスクできんさかいじめられやるんやねと。保健所行ったら、これメールの写真を送ってくれて、こんなの保健所でもろうてきて首にかけといたらマスクせんでもええさかもろうてき、とメールくれたんや、孫が。それで保健所にこれもらいに行ったんや。そしたら誰も来てない。
そして、私は5人孫がおるんですが、みんな大阪で暮らしているんで、孫にも連休でも、盆でも帰ってくるなと、帰ってきてもじいのところには顔出すなと。そして、この盆の8月中でも8月1か月、家へ一切、人を招き入れない。もちろん買物には行かない。そういうふうに非常にストイックに生活してきたわけです。
いや、だから、私は、もう既にもうゆうべのうちに、孫ら帰ってきてもじいところへ来るなよと、できたら帰ってこんといてくれと全部連絡しましたよ。やっぱり、そういう時期で、社会にどう責任持たんならんかという、教育長、どんちゃん騒ぎするより、こういう機会を捉えて社会に対する責任はどうあるべきかということを、もう一番の教材になると思うんで、そこら辺も考えて。
それでこの間、おまえら、じいは新宮市の市議会議員やでと。おまえらみんなよそへ行ったら新宮市の人口は減るばかりや。年寄りばかり残って若い者が増えてこん。帰ってきてくれよいうて頼んだんや。そしたら、上から2番目の孫が大阪の大きな病院で看護師しとるんや。この子は光洋中学校の剣道部や。光洋中学校に通わしたから。親の関係で子供のときから三輪崎の獅子舞の太鼓たたきをしよるから、この子は三輪崎が好きなんや。
また、水野勝之様も新宮市のほうに何度かお越しいただいておりまして、おじいさまが新宮市のほうから結城のほうに養子に行かれたということで、水野勝之さんも新宮市のほうに大変思い入れがあるということで、いろいろとまた相談をしていきたいと思っております。 ◆6番(前田賢一君) 大きなチャンスだと思うんですよね。
中でも私が感心したのが、認知症のおじい様を持つ子供が、認知症を治すのは難しいけれども、僕らの接し方で病気が落ちつくこともある。おじいさんを大切にすること、そして病気の勉強、できなくなったことに目を向けるんじゃなくて、今できることを大切にしてあげる、そうお父さんが言ってくれました。僕はお父さんの話を聞いて、何だかうれしくなって、僕もおじいさんをもっと大切にしようと思いましたという文面があります。
この前、手前みそのような格好になりますが、私の孫が高野へ来ておりまして、教育長とも表敬訪問させていただいて、あそこの施設で3日ほどしか山におる機会がなかったですけれども、1日奉仕して帰れということを申し上げて行かせたんですけれども、英語のもう既に通訳のできる先生がお二人おって、昼ごろまでおったんだけれども、あまり用がないということで、親の心子知らず、おじいの心孫知らずのような格好で帰ってきましたですけれども
それで、あんたの同級生の江川の忠雄のじいやんが、夜回りやったんや。それで、じいやんが病気になってると、風邪を引くとかわりに僕が行くわけやね。三輪崎青年クラブが基地でね。そしたら、不審者が徘回していると間違われたら悪いから、拍子木たたいて、かっちんかっちん火の用心って回るんですよ。そのとき、かっちんかっちん火の用心、マッチ1本火事のもと。
初めに、札幌市清田区の市立認定子ども園にじいろにおいて研修を受けました。 当施設は、札幌市で初の認定子ども園として、就学前の子供の教育及び保育を提供するとともに、常設の子育てサロンが設置されている幼稚園、保育園、子育て支援の三つの機能をあわせ持つ施設として平成21年4月に開園されました。
私はもう退いて、幼稚園の園長という肩書は持っておるんですございますけども、もうそこで吉田さん笑ってるけども、園長、そんなおじいが幼稚園に出ていったら、嫌われるばっかりやと言いたいんだと思います。そのとおりです。
ここに、奥出身の議員もおられまして、「あのダムあかんのう」という話をしたことがあるんですけれども、僕は「ぶっ壊してしまえ」と言うたら、「そんなこと言うな」ということで議論したこともあるんですが、これは淡水と川の水と海の魚との関係ということなんですけれども、私も詳しい研究はしてはないんですけれども、漁業者の意見をいろいろ聞きますとですね、彼は体験的に「先祖代々、おじいがこう言うとった」、「ひいおじいがこう